父さんとクソジジイ 呼称の二段活用

家族について
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✔父が出てこない理由

私の父は元気で、生きています。

父は、母が初めていなくなった日に、
たぶん感情が切れてしまったのだと思います。
母が行方不明になった夜中、訳の分からないことを言いだしたので、
これ以上負担に思わせてはいけない、と判断しました。

静岡から名古屋に来た時も、
「俺は静岡に残る」と訳の分からないことを言ったので、
もう好きにしたらいい、と思いました。

名古屋に引っ越しして半年後、「俺も同居したい」と言って、
勝手に名古屋に引っ越してきました。
以後2年弱、別居生活を送りましたが、
一向に介護に自分の手を貸す気配はありませんでした。

ある日、私はついに切れました。

こんのクソジジイ!!
母さんは認知症なんだよ、
ア・ル・ツ・ハ・イ・マー!!
あんたが主たる介護者!!
できないんなら、もうここには来るなー!!!
ワシ一人でやるわーっ!!!
出てけっー!!!

私の大声は、近所に響き渡りました。
クソジジイ。
後に妹から聞くと、父は長女から放たれた
その言葉がどうしても気に入らなかったようです。
父は一人静岡に戻りました。
以後何年も、父とは口を利いていません。
父のことは妹夫婦が気にかけてくれています。

✔母が私を選んだ理由

母は、認知症になってから、
父のことを口に出したことは一度もありません。
母には弟妹(私の叔父叔母)もいますが、この人たちのことも、
自分から口にしたことは一度もありません。


なんだろう。
たぶん、母にとって、その人達はなかったことになってる。

口にするのはいつも、自分の父親(私の祖父)のことか、
独身時代の自分の友達こと。

10年前は、正直母を恨みました。
なんで私だけ介護?
お父さんは?と。

でも、今になって、私であった理由がわかった気がします。

他の人なら、さっさと施設に入れていた。
それは、私には頭に浮かばないことです。
できないのです。
そして、例え介護を請け負っても、ただでは起きない根性が私にはある。
母は私の母だから、
私のことを見抜いていたんだと思います。
まあ、たまたま独身でしたしね!
私、ドンマイ!

✔娘として 人として


確かに、受け負わされた介護は重責で、私を苦しめました。

地元の友達は一人もいなくなった。
でも、反対に、新しく出会ったり、最近連絡が取れたりした友達もいます。
皆、私の現状に引いたかもしれないけど、私は元気をもらえた。
心強かった、ありがとう。

何より、この期に及んで、私にはまだやりたいことがあります。
認知症で苦しんでいる人、本人でも家族でも、
とにかく一人でも楽になってもらいたい。

母の思惑通りか…。

オソロシヤー。

✔父さんへ

後期高齢者の父は、
毎月自分の年金からいくらかお金を送ってくれています。
介護は絶対にしないけど、
こちらが断ってもお金を送ってくれる。


もう、それで十分です。

ありがとう。

だから。

父ちゃんよ、あんたの葬式は私が出す。
だから、死ぬまで好きに生きたらいい。
私はあんたの娘だから、あんたの人生の幕引きは私がやる。
文句あっか。

私は、明日も働く!!






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