✔主たる介護者は自分を責めがち
「絶対に否定してはいけません」とか、「一緒に探しましょう」とか、病気の人に寄り添った対応方法がいろんな本やサイトに書いてあります。
それは必要な情報です。
情報から得た知識は自分を守ります。ひいては相手も守ります。
知らないより知っていたほうが絶対にいい。
私も当時はとても助けられました。
一方で、やり過ごした経験者としては、介護する人の立場も考えたいです。
身内や人を自分が介護しよう、また、計らずも自分が介護を請け負った人は、基本的にとってもマジメな人が多いと思います。
だから、とにかくアドバイスに従ってやろうとする。
私は、そんなにマジメではありませんが、対処方法を探していろいろ情報を集めました。
今思えば、その情報通りにできなくてストレスが増幅していた面もあると思います。
「なんで何回も何回も同じことを言うんだ!さっきも説明して、あんたも納得したでしょ!」
「今日も怒鳴ってしまった!」
いや、もう、「穏やかに」「怒ってはいけない」なんて無理です。
毎日毎時間、他の周辺症状と合体複合で来るんですから…。
マニュアルなんてのはありません。
情報はあくまでも参考程度です。
知識を得られればOK。
その通りにできなくて大丈夫です。
頑張るけど、なんとかならないことのほうが多い。
自分を責めない。
それはきっと相手を責めないことに繋がります。
✔大鉄則は一つ「絶対に手を挙げない」
マニュアルなんてない、と言いましたが、大鉄則が一つだけあります。
絶対に手を挙げない。これにつきます。
場合によっては命を失います。
相手を傷つけるだけでなく、あなたは犯罪者になってしまいます。
どんなに毎日一生懸命介護しても、どんなに毎日まじめに働いても、
その一瞬ですべてが失われます。
頭に来たら外に出てください。
普段から要介護者と適度な心の距離を取ってください。
人の怒りは6秒我慢すれば収まっていく、と言われています。
介護に直面している時の6秒は、とても長くて無理です。
だから、カーっとなった瞬間に即座に離れてください。
普段から危険なものを隠しておくのも、普段から施錠を万全にしておくのも、
なにも要介護者のためだけではありません。
自分が危険物を投げないため。
自分が少し留守にしても、残してきた要介護者が徘徊に行ってしまわないようにするため。
それだけは守ってください。
大事なことなので、何度も言い続けたいです。
✔相手にも自分にも寄りそって進む
初期のころの周辺症状が進むと、日常の事務的なことはまずできません。
私たちが日常行っている作業は複雑で、人間の脳はコンピューター。
それが壊れていく過程を目の当たりにさせられます。
BPSDは、言葉は乱暴かもしれないけど、断末魔。
その人のその機能が失われる前の激しいあがき。
線香花火が燃え盛っている時期なのだと私は思います。
それに付き合うのは、本当に辛いです。
施設に入れるきっかけも、こういった周辺症状に家族が耐えられないからだと思います。
元気で、朗らかで、いつも笑っていて、自分のことができた人。
家族の太陽。
その人が変わっていく姿を見ることはとても辛いです。
介護する人は笑おう、趣味をやろう、自分の時間を大切に、と言われます。
介護生活が始まった当時は、今までの私の日常はなくなって、平常心はどこかに消え去り、
笑うなんて上級者編に思えていました。
母の健康な日常も笑顔も失われていきました。
私の場合は、母が若かったこともあって、とにかく母のQOLを守ろうと思っていました。
どんなに喧嘩しても、時には流血の取っ組み合いをしても(手上げてるやんけ)、
それは変わらなかった。
代償はあるけど、家にいてもらう、そのことを譲れなかった。
10年目の今もそれは変わりません。
私は、在宅を選んでいるけれど、
人には人の数だけ程度や考え方があって、選ぶ道もそれぞれです。
施設を考えていてふんぎりがつかなければ、本人とお出かけでもしてみてください。
できるだけ寄り添った行動を何度か繰り返してみると、
自分がどうしたいか結論が出やすい気がします。
在宅が偉いなんてことは、絶対に1ミリもありません。
介護を仕事にした今、余計にそう思います。
気持ちの核を決めて、自分に従えばいい。
い~んです。
落ち込んでても、上手くできなくても。施設を考えても。
できないことを責めるより、できることを喜んで褒めあいましょう。
大丈夫です。
あなたはよくやっています!!
なんとかなっていきますよ!!!