✔冬本番と母の涙
すっかり寒くなりましたね。
もはやようやく「冬」です。
師走ですが、私の感覚としてはお盆を過ぎたあたりな感じです。
速すぎだろ、月日。
今日の母は、お昼頃に一度泣いていました。
言葉はもう繋がらないし、特定の単語やフレーズしか出てこないので、
私のように毎日一緒にいる人でないと憶測ができないと思います。
よくよく聞くと、「私はもうできることがない」と悲しんでいました。
空腹もあったと思うので、温かいご飯とお味噌汁を出したら、
笑顔が戻ってきました。
そうでしょ、そうでしょ、卵焼き美味しいよね。
鶏ひき肉のあんかけ風もあったかくて美味しいよね!
味噌汁はもちろん赤味噌だよ!
デザートにミニどら焼きもあるで~。
食べてきゃ~。
完食!良かった!
✔急には仲良くなれない
私は、母が病気になってからも、できるだけ距離を取るようにしてきました。
それは、母が健康だったころと同じスタンスでした。
病気だからって、急にハグしたり全肯定したりなんて無理です。
ワタクシ、今のように笑えるまで10年かかりました。
「通帳がない」
「知らない、私じゃない」
「車椅子乗るって約束したよね!」
「乗りたくない」
「じゃあ勝手にしな!」
一事が万事この調子。
頭にきて物を投げることなど、日常チャメシゴト。
本人に当たらないように、いないところで軽めの物を投げていました。
今の私ならわかる、対応、やばすぎです。
でも、しょうがない。
だって嫌なんだもん。
「認知症です」と言われて急に仲良くするなんて無理。
そんな人います?
世話になった親によくそんなことを言えるな、
とおっしゃる人もいるとは思いますが。
では何故「介護」はやりたくないこととして挙げられるのでしょうか。
✔やっと歯車があった
私が母と仲良くなれたのは、母が私の手を取ってくれてからです。
私が怖かったのか、長い間、母は一緒に歩いてはくれませんでした。
どんなに「危ないから一緒に歩いて」と言っても、
いつも私の2mくらい後ろを歩いていました。
だんだん足腰に痛みが出てきても、
私の差し伸べた手を握ることはありませんでした。
だいたい4年前くらい、
デイサービスで散歩をしてもらう時の職員さんの手のように、
私の手をようやく掴んでくれるようになりました。
それから、少しずつ二人でいても笑顔が増えた気がします。
✔それは愛、キモイけど笑
介護していると、お互いをののしりあったり、自分勝手なことを言いあったりします。
それを毎回後悔して自分を責めてしまい、精神的に本当に疲れます。
介護生活の大半がそれで終わっていきます。
でも、それも、家族への親への愛情がどこかにあるからだと思います。
虐待はダメです、絶対。
それは愛ではない。
生活の面倒を見て、事務的なことを請け負い、
なんなら身体介助もしている。
他にやる人がいないとか、自分が独身だからとか、
そんなこと関係ない。
現在、やっているあなたがいる。
上手くできなくても、やってる。
それってすごいことです。
怒りが湧くのは、親が弱っていく姿を見るのが辛いから。
まだどこかで「強い親」でいて欲しいから。
言い返すのは、甘えている気持ちがまだどこかにあるから。
何より自分の時間が全然とれないから。
もう「強い親」はいません。
問題も全部は絶対に解決しません。
病気は治らないし、自分も年をとります。
怒っているうちに、月日はどんどん過ぎて行ってしまいます。
どこかで現状を認めて気持ちの折り合いをつける、それも介護の一つだと思います。
私が母とハグして笑って褒めあう日がくるなんてね。
それは母が弱ってしまった証拠なのだけど、
周りに支えられながら結構楽しくやっている。
もう距離なんてないし、そんなこと言ってられない。
残り時間を楽しく生きたい。
母ちゃんよ、頼ってくれてサンキューな。
1993年のサントリーのCM、かっこよかったなぁ。
31年前だってさ…。
まったく時の流れはどうなってんだ、速すぎだろ。
明日も働くか。