13年前の入院生活

私の健康
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✔死ぬかと思った

13年前、私は脳腫瘍の摘出術を受けました。
幸い良性でしたが、位置が難しい場所にあった。
当時、住んでいた静岡には手術できる医師がおらず、
東京で受けることになった。

失敗すれば死ぬかもと思ったから、学生時代の友にもたくさん会いに行った。
あの時会ってくれた皆さん、ありがとう。

✔入院の思い出

まず、主治医であり執刀する医師に、「私失敗しないので」
くらいの心強い言葉をかけてもらった。
大門道子先生ですか?と元気になった今なら冗談で言える。
ありがとう、先生
母の介護もできて、元気にやっています。

無事に摘出してもらって、ICUも出られた。
しばらくすると、点滴をカラカラ言わせて、
包帯ぐるぐるで大きな病院の中をぐるぐる歩いた。



担当の研修医師が出勤すると、
「この包帯の巻き方、目が見ずらいでしょ?
この状態で我慢してる人は珍しい。
看護師さんに文句言っていいんだよ

…いや、抜糸してないからこういうもんだと思ってたよ
これでコンビニ行っちゃったよ。
なんでやねん

この研修医の先生に入院前、退院してからも一番お世話になった。
当時病院には2大イケメン医師がいて、2人とも脳神経外科医・既婚。
その内1人がこの先生だった。
私にはよくわからんけど研修制度があって、
研修医とは名ばかりな、優秀な医師だった。

彼は端正な姿で冷静に指示をだす。
「こうやんさん、なんでもチョット頑張ったほうが上手くいくんだよ、何でも」
そう言って、みんなそうだと思うけど、とにかく歩かされた
お陰で私は、退院間近になると朝一布団をたたみ、
回診で先生たちが来る頃には、朝日の中で背筋を伸ばして座っていた。
体育会系の合宿かなにかですかね?
お陰で体力と根性がついた。
ありがとね、先生

母にもサポートしてもらった。
東京までパジャマや肌着を持ってきてくれた。
自分で持ってきてるから必要ないよ、と言ってるのに。
ありがとう、母さん。

このあと
退院して約2年後、母のアルツハイマーが発覚。
よく一人で東京まで来たものだ。
自分にも異変があっただろうに、自分より人を優先する。
母のそういう所に何度も救われてきた。

✔みんな何かのサバイバー

来月入院するにあたって、職場に事情を話した。

すると上司も数年前大変な手術をしていて、
フラフラになりながら入居者の介護をしていたそうだ。
返す言葉もございません…。
凄すぎる。
貴重なお話をしてくださってありがとう。


皆、聞かれないから言わないけど、
いろんな病気を乗り越えてきている。


明日もがんばろう。

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