✔二人だけは厳しい。
今日も寒い日が続きますね。
立春が過ぎて、暦の上ではもう春。
この時期は気温はまだまだ低いけれど、
日の光が少しずつ強くなってくるので、
「光の春」と呼ばれるそうです。私はこの言葉が大好きです。
今日は、他人とかかわるお話です。
今日は祝日ですが、訪問マッサージの先生が来てくれました。
これまで、訪問日に祝日が被ることがほぼなかったので、
来るか来ないかどっちだったかな~、と思っていたところ、
「ピンポーン」と玄関の呼び鈴がなって、先生がいらっしゃいました。
「助かった!先生、ありがとう!」と心から思いました。
私と母は、お互いに二人っきりでいられるのは1日が限度です。
間が持たない。
1日家で一緒にいると、夕方から夜にかけて、母か私が不穏になります。
私よ、お前も夕暮れ症候群かね。
私の場合は、家でケアして、明日もケアの仕事に行かねばと思うと、
夜に発狂しそうになります。笑。
✔家の時間を上手く過ごす方法。
いろんな人と関わる
母は、週4日ほど認知症対応型デイサービスにお世話になっています。
昨年の秋から、デイサービスを2箇所にしたのですが、
これも結局、コミュニティが増え、母には良い刺激になりました。
2箇所それぞれ楽しさの種類が違うようで、今までと違う笑顔が出ています。
同じ認知症の皆さんが集うデイサービスは、母にとっては社会参加。
私が仕事に行くことと同じです。
できないことも多いですが、
どちらのデイサービスでも、
職員さんが本当に一生懸命に、
人の輪の中に入るように働きかけてくださるので、
母なりにそれに応えようとしています。
要介護者が、他人の働きかけに応じたい、という気持ちを持つ。
これこそ、介護サービスを使う意義の一つだと思っています。
通所でも訪問でも、どちらでもいい。
家族以外の人と一定の時間を過ごすことが、
社会参加になると思います。
一方、私。
主たる介護者も、外で働いたり他人と関わったりして、自分の意見を持つ。
自分の人生を生きることが大切だと思います。
余談ですが、誰にも会えないコロナの時は
正直きつかったです。
あの時期で私は10歳くらい老けたと思います。
だらだらする。
いろんな人と関われたら、
もう、家では家のペースで過ごせばいいやと、
のんびりだらだら過ごすようにしています。
以前、
病気の進行を遅らせることができるかも、と思って、
仕事モードを家で実行したことがあります。
体操、歌レク、家事の生活リハビリの支援。
声掛けも、大きな声でゆっくりはっきりしてみました。
すると母は、私に向かって「どなたでしたか?」と小さな声で呟いて、
ここは私の家ですので、今それはやらないです、という顔をしました。
これは逆効果だ。
「お母さん、私だよ、私!」といつもの声色で
話しかけると安心していました。
そんなこともあって、
だらだら、のんびり。
私も多少でも休むことができるので、それでいいと思っています。
それも、普段関わってくれる、家族以外の他者がいてくれるから。
周りの皆さんの力を借りています。
ありがとう。
✔認知症じゃなくっても。
認知症でなくても、他人と関わりたい、と思うのは普通のことです。
私のような、引きこもり介護鬱中年でも、
ずっと引きこもっていたら、ちょっとは何かやりたい、と思います。
ただ、個別に程度が違うので、
一概に「さぁ、外へお行きなさい」とは言えません。
あくまでも、その人のペースが大切です。
親子なんて、お互い毒があるから、
向き合い過ぎて毒にやられる前に一定の距離が必要です。
それも、認知症だからという訳ではなく、
ごく一般的なことです。
「介護」という面から言えば、外に出て行くことは、
お互いの精神安定にも、病気の進行を遅らせるためにも、
とても効果があると思います。
介護にはお互い離れる時間が絶対に必要です。
それは、介護鬱や虐待防止にもつながります。
デイサービスは、本人が行きたくない、と言っても、
プロにかかれば、あら不思議。
いつの間にか出て行くのが当たり前、みたいな顔して通所していきます。
在宅はできず施設に入所して、離れて暮らしている場合も、
他人に囲まれた、それぞれの場所で頑張ればいい。
それでいいと私は思います。
もし事情で外に出られないかたも、
地域包括支援センターさんなどに相談しながら、
どうか、誰かと繋がっていて下さい。
認知症はおまけ。
認知症である前に、一人の人としての人生が豊かになりますように。
介護者も、
介護者である前に、一人の人として人生が明るくありますように。
明日も働きます。